萩城下町
萩城下町(はぎじょうかまち)は、長州藩 (萩藩)の萩城を中心に形成された城下町。
1604年(慶長9年)に関ヶ原の戦いに敗れ、周防国・長門国2か国に減封された毛利輝元。
彼は萩城と並行して建設を進め、長州藩の拠点として機能しました。
「萩城跡」、「萩城城下町」(いずれも国の史跡に指定)、「堀内地区」(重要伝統的建造物群保存地区)がよく当時の面影をとどめています。
世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」に登録されてもいます。
世界遺産としての「萩城下町」は、3つの資産から構成されています。
taka, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
萩城跡
指月山の山麓にある平城と山頂にある山城で構成。
建物はすべて喪失しましたたが、雄藩の城として歴史上重要。
よく旧規模をとどめていて縄張も精巧ですね。
城郭史上重要な遺跡とされました。
1966年国の史跡に指定されてます。
萩城城下町
萩城三ノ丸中総門の東外を、東西に通ずる中心路である呉服町の通り(通称御成道)があります。
それと、その南を東西に走る慶安橋筋の2本の東西路に直交する菊屋横丁・伊勢屋横丁・江戸屋横丁に囲まれた区域を指します。
萩藩御用達の旧家、幕末に活躍した侍屋敷等の面影が残りますね。
1967年に国の史跡に指定。
青木周弼の住宅等も含まれます。
一般には「武家屋敷地区」とも称されますが、正確には堀内地区が侍屋敷地区にあたります。
堀内地区
萩城三の丸のほぼ全域に相当する地域です。
藩の諸役所や上級藩士の侍屋敷が所在していました。
1976年に重要伝統的建造物群保存地区として選ばれました。