サンクトペテルブルクは、ロシア西部のネヴァ川河口デルタに位置する都市。
そして、レニングラード州の州都です。
人口は約540万人です。
首都モスクワに次ぎロシア第2の都市となります。
実は1917年までロシア帝国の首都でした。
そしてなんと、大阪と姉妹都市です。
サンクトペテルブルクは、ピョートル大帝による建都以来ロシア最大の文化都市として発展してきました。
なので特に帝政時代にはこの都市を舞台に多くの文化人が活動してたようです。
詩や小説などの題材としても扱われてました。
『青銅の騎士』を物した詩人で作家のアレクサンドル・プーシキンという人がいます。
いわゆる「ペテルブルクもの」を物したウクライナ出身の作家ニコライ・ゴーゴリ、『罪と罰』を物したフョードル・ドストエフスキーなどがその代表。
また、イワン・ツルゲーネフの作品にも描かれるように帝政時代のモスクワはひどい「田舎」扱いされてました。
ペテルブルクで活躍することこそがエリートの絶対条件であると看做されていたのです。
音楽家や画家もペテルブルクで活動するのが基本でした。
特に帝政末期ペテルブルク以外で活動するようになった芸術家の一派があります。
その一派は「移動派」と呼ばれてました(ペテルブルク以外を巡業する派ということ)。
こうしたことから、ペテルブルク市民はこの都市の高い文化水準に誇りを持っているようです。
TUBS, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
『芝浜』という古典落語があります。
三遊亭圓朝の作と言われていますが真偽不明。3代目桂三木助の改作が有名です。
そもそも「芝浜」とは、江戸時代の入間川のを挟んだ東海道の芝橋から薩摩藩邸までの間にあった海岸の網干場だったところで、現在の港区芝4丁目の第一京浜の南側にあたります。
入間川(いりあいがわ)というのは、現在は埋め立て地。そして全国で2番めに短い国道の130号です。
あらすじ
天秤棒一本で行商をしている魚屋の勝五郎という人がいました。
彼は、腕はいいものの酒好き。
で、仕事でも飲む事にかまけて売り物の魚を腐らせるなど失敗が続きます。
次第に客の信用と働く意欲を失い、借金も嵩んで自堕落な生活に陥っていきます。
その日も女房に朝早く叩き起こされました。
嫌々ながら芝の魚市場に仕入れに向かいます。
しかし時間が早すぎたため市場はまだ開いていない。
誰もいない夜明けの浜辺で顔を洗います。
煙管を吹かしているうちも、足元の海中に沈んだ革の財布を見つけました。
開けてみると中には大金が入ってました。
勝五郎は「これで一生遊んで暮らせる」と有頂天。
自宅に飛んで帰り、さっそく飲み仲間を集めて大酒を呑みます。
翌日、二日酔いで起き出した勝五郎に向かって女房が言います。
「こんなに呑んで支払いをどうする気なの?」
勝五郎は「昨日拾った財布の金で払えばいいだろ」と答えます。
が、女房は、
「そんな物は知らない、お前さんが金欲しさのあまりに酔ったまぎれの夢に見たんじゃないの?」
つくづく身の上を考え直した勝五郎は「これじゃいけねえ」と一念発起、酒を断って真面目に働き始めます。
そうして仕事に打ち込むうちに久しく忘れていた商いの楽しさを思い出します。
3年後には表通りにいっぱしの店を構える事ができました。
借金を完済して生活も安定し、身代も増えました。
そしてその年の大晦日の晩のことです。
勝五郎は妻に対して献身を労い、頭を下げます。
すると女房は、3年前の財布の件について告白を始め、真相を勝五郎に話します。
あの日、勝五郎から拾った大金を見せられた女房は困惑しました。
十両盗めば首が飛ぶといわれた当時、横領が露見すれば死罪です。
長屋の大家と相談した結果、大家は財布を拾得物として役所に届けました。
女房は勝五郎の泥酔に乗じて「財布なんて最初から拾ってない」と言いくるめる事にしました。
時が経っても落とし主が現れなかった。
役所から拾い主の勝五郎に財布の金が下げ渡されました。
しかし女房はその事で亭主が元の木阿弥になる不安から今まで言い出せずにいました。
彼の「客が自分の売る魚をおいしく食べてくれるのが心底嬉しい」という言葉にようやく「今のこの人なら大丈夫だ」と安堵します。
そして真相を話す事を決意したといいます。
事実を知り、例の財布を見せられた勝五郎はしかし女房を責める事はありませんでした。
道を踏み外しそうになった自分を真人間へと立ち直らせてくれた女房の機転に強く感謝します。
そして女房は懸命に頑張ってきた夫を労い、「久し振りに酒でも」と勧めます。
始めは拒んだ勝五郎でした
が、やがておずおずと酒をついだ湯呑みを手にします。
そして一旦湯呑みを口元に運びますが、不意に手を止めます。
「よそう。また夢になるといけねえ」と。
相馬野馬追(そうまのまおい)とは、福島県相馬市をはじめ、浜通り北部で行われる、3つの神社の祭礼。
その神社は次の3つ。
相馬中村神社
相馬太田神社
相馬小高神社
それは、
馬を追う野馬懸、
南相馬市原町区に所在する雲雀ヶ原祭場地での甲冑競馬と神旗争奪戦
街を騎馬武者が行進するお行列
といった神事からなります。
ちなみにこれら神事は重要無形民俗文化財に指定されてます。
このイベントの起源は、、相馬氏の遠祖である平将門が、領内の、現在の千葉県松戸市に相当する場所に野生馬を放し、敵兵に見立てて軍事訓練をした事に始まると言われています。
鎌倉幕府成立後はこうした軍事訓練は取り締まられたものの、相馬野馬追は名目上神事ということで継続されたようです。
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シチリア島は、イタリア半島の西南の地中海に位置するイタリア領の島。
地中海最大の島です。
TUBS, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
「3つの岬」という名所があり、パレルモ、メッシーナ、シラクサの岬を指します。
これはギリシャ神話のメデューサの顔と3本の素足といわれています。
州旗には「トリナクリア」と呼ばれるシンボルが描かれています。
トリナクリアはシチリアの古名でもあります。
それはギリシア語の「3つの岬」に由来しているそう。
メッシーナとイタリア本土の間の海峡はメッシーナ海峡と呼ばれています。
そして海峡の西はティレニア海、東はイオニア海。
メッシーナ海峡大橋が建造される予定でしたが、予算などの関連で2006年に建設中止。残念ですね。
メッシーナ海峡の画像です。美しい!
メッシーナ海峡の最も狭い部分だそうです。
Shifegu, CC0, via Wikimedia Commons
古(いにしえ)の聖者であるアガスティアが残したという「葉」。
その葉には個人の運命に関する予言が記されているといいます。
葉は古代タミル語で書かれていて、ナディ・リーダーと呼ばれる人々が現代タミル語に翻訳します。
読むことができるのが、幼少のころから6年以上かけて特別な学習をして、代々ナディ・リーダーとして運命づけられた人だけといいます。
日本では「理性のゆらぎ」という著書で紹介された模様。
一時期ブームになり、マスコミにも大きく取り上げられるほどだったようです。